Hermann Gottschewski
2011年夏学期『比較芸術』「ベートーヴェンのピアノソナタとその周辺」
7月7日 「19世紀におけるベートーヴェンソナタの受容と演奏解釈」(つづき)
Carl Czerny: Die
Kunst der Vortrags der älteren und neueren Clavierkompositionen oder: Die
Fortschritte bis zur neuesten Zeit. Supplement (oder 4ter Theil) zur grossen
Pianoforte-Schule von Carl Czerny. Op. 500, 2tes Capitel: Über den richtigen Vortrag
der sämmtlichen Beethoven’schen Werke für das Piano allein. S. 41(作品7の第4楽章について)
この魅力的な主題は感情を込めて弾くべきだが、しかしフェルマータの直前の1小節以外にはリタルダンドをかけない。
嵐のような中間部(ハ短調)は右手に次の運指でしか弾けない走句を含む。
...
ある程度練習してからこの走句がこの運指でレガートでも演奏できること、そしてこの方法でしか最高音のsfを表現することができないと気がつくだろう。ちなみにこの中間部全体(主題の再現まで)を少し速く演奏することができる。
次のところ
...
最初の5小節ではバスを(あたかも一種の対旋律のように)とても重々しくレガティッスィモで弾かなければならない。最後の小節のHの音とぴったり同時にペダルを踏んで、それを2小節半しっかりと踏みっぱなしにしなければならない。この驚くべき転調ではuna cordaも応用できる。ロンドの最後のところをとても軽く、徐々にさらに和やかに、静かにぼかすように、最後の4小節はペダルを取って。
Adolf Bernhard
Marx: Ludwig van Beethoven: Leben und Schaffen. Zweite Auflage, Erster Teil. Berlin: Otto Janke,
1863. S. 154 und 157:
(S. 154:) 次の年、1798年に作品7のソナタが現れ、それが私たちが持っている全ての作品の中にもっとも精巧な音の構築物の一つである。この作品は暗い経験に少しも影響されていない。もしあるとしたら第4楽章にあるかもしれない。
... (S. 157第四楽章について)
ただ最初の新鮮さは戻って来ない。柔らかく溶けたようなロンドが最初から一楽章の生意気な勇気について釈明するように、またラルゴの天上的な高みから頭を下げて降りるように見える。この楽章はいくら魅力的に、いくら涙ぐましく話すとしても、私たちは一楽章と二楽章にこの様な(三楽章から始まり、フィナーレで完成する)終わり方の必要性を見出すことができない。何が私たちの詩人(ベートーヴェン)をこの様な結末に導いたのだろうか。
Adolf Bernhard Marx: Anleitung zum Vortrag Beethovenscher Klavierwerke. Berlin: Otto Janke, 1863
上記の引用にも分かるように、マルクスはこのソナタの第四楽章を高く評価しなかった。ソナタで彼がもっとも高く評価しているところは「ソナタ形式」の構成であるから、このソナタに関しての演奏のコメントも第一楽章については三ページに渡り、第二楽章について一段落、第三楽章について一つのコメント、第四楽章について全く言及していない。第一楽章についてのコメントではそれぞれの箇所のソナタ形式上の機能が分析されている。
(S. 99) このソナタの第一楽章には七つの主要な要素(Moment)があり、それらの始まりを以下で示し
(A, C [?], D, E, F, G, H、譜例省略)
[S. 100] それぞれを文字で記した。Aは主楽節、C, D, Eはそれぞれ副楽節、F, G, Hはそれぞれ終楽節である—あるいはE[?]またはFとGも副楽節だと言えるかもしれない—しかしそれは重要な疑問点ではない。しかしこの七つで曲の内容が十分に説明されたとはいえない。なぜなら複数の節(要素)がほとんど自立した発想というべき重要な発展と変化を被るからである。(ここで七つとして取り上げたのは)ただ豊富な形態の中に迷子にならないためである。
楽章全体で活発で輝かしい生がほとばしって、「Allegro molto con brio」というテンポが全体から見てまさに適切だが、数多くの節とその発展の中ではいろいろと変わらなければならないだろう。ここには拍子の自由(Taktfreiheit)と適度、ことに様々な段階的な速度の融合について考えるきっかけとなるものを多く見つけることができる。
Wilhelm von Lenz:
Beethoven. Eine Kunststudie. Dritter Teil, erste Abteilung, erster Teil. Zweite Auflage, Hamburg:
Hoffmann und Campe 1860
[S. 76] このソナタは多分ベートーヴェンの初期におけるもっとも美しいソロソナタだろう、少なくともベートーヴェン全作品で比較的に奥深いものの一つ。しかしAllegro molto con brio(第一楽章)はハイドンとモーツァルトの模範を越える事はない。
(中略)
[S. 77] これら(ハイドンやモーツァルトなど)の例を見ればこの6/8拍子の第一楽章はベートーヴェンの他のソナタと同様に非常に格調が高いものだと思われるかもしれない。しかしそれは違う。ベートーヴェンの基準ではこの楽章は大した作品ではない。ほとんどつかみどころのないモチーフ(ベートーヴェンではさらに希)の労作は巧みの手によるものだからマルクスはそれを技術的に分析した。(中略)しかし第一楽章が天才的なひらめきに欠けるとは決して言えない(25, 51, 59小節の素晴らしく導入されたメロディーなど)。
これで分かるようにレンツはマルクスと違ってこの楽章の古典的な形式を長所としてではなく短所と捉え、この一楽章を高く評価しなかった。彼は逆にこのソナタの他の楽章を高く評価したのである。この対照的な評価には19世紀の音楽形式への評価の変化が反映し、Marxより14歳若いLenzがより「進歩的な」考え方を代表している。
Gustav Nottebohm:
Beethoveniana (1872) と Zweite Beethoveniana (1887): „Der dritte Satz der Sonate in Es-dur Op. 7“ (Zweite
Beethoveniana S.
508–512)
[S. 508] ソナタ変ホ長調作品7の第三楽章は、一括ではなく、部分部分徐々に作曲された多くの曲の一つである。これは一枚(四ページ)のスケッチで観察することができる。このスケッチには明らかに別のところで始まった作品の継続もあり、その一ページ目にこの(第三)楽章の様々な部分に属する切り離された断片が混ぜこぜに散らばっている。(注 この一枚はBritish Museumに保存されている)この発展段階の断片性を、全てがスムーズに流れるように見える印刷された作品に全く発見することができないだろう。後になって初めてより大きなスケッチがいくつか現れ、そこには以前の断片がまとめられている。その一つ(そこには+で示したヴァリアンテもある)に従えば
(譜例省略)
[S. 510] 主楽節の第二部が元々今のに比べて四度低く始まるように計画されていた。
(中略)
[S. 511] この一枚が作品7の他の楽章のスケッチを全く含まないので、この楽章は元々上記のバガテレとして考えられ、後でソナタの一部となったと考えられる。