Hermann Gottschewski
2011年夏学期『比較芸術』「ベートーヴェンのピアノソナタとその周辺」
4月 28日
第21番のソナタ(作品53 „Waldstein-Sonate“)
楽譜
自筆譜:http://imslp.info/files/imglnks/usimg/f/f7/IMSLP51155-PMLP01474-Op.53_Manuscript.pdf
初版: http://216.129.110.22/files/imglnks/usimg/5/58/IMSLP51156-PMLP01474-Op.53.pdf
Schenker版: http://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/d/d0/IMSLP00021-Beethoven__L.v._-_Piano_Sonata_21.pdf
今日聴く録音 Ronald Brautigam(ベートーヴェン時代の楽器)
(Fortepiano: Paul
McNultyによるConrad Graf, 1819の複製)
http://www.youtube.com/watch?v=XJBr8qlw5R4&playnext=1&list=PL51F37B1517BC3A9B
この録音に使われたピアノの画像(演奏者・曲は別)
http://www.youtube.com/watch?v=GPFnBQu_rDM
楽章の数の問題
このソナタは現在「三楽章構成」とするのがもっとも一般的で、それに疑いを持たない資料が多い。例えばwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノソナタ第21番_(ベートーヴェン)(4月27日現時点)。
日本語以外のwikipediaもほとんど三楽章構成としているが、ウクライナ語のwikipediaは二楽章構成だと言う(4月27日現時点)。
どちらの方が正しいだろうか。
Schenker版(とHenle版など)の楽譜は第一楽章、イントロドゥツィオーネ、ロンドでそれぞれ開始の小節番号を1にし、三楽章構成と見なしている。それに対してLamond版の様にイントロドゥツィオーネから最後まで小節を通して数えて、「二楽章構成」とする楽譜もある。
http://216.129.110.22/files/imglnks/usimg/7/78/IMSLP04076-Beethoven_-_Piano_Sonatas_Lamond_-_21.pdf
この授業ではSchenker版の小節番号を使う(理由:ほとんどすべての現代版と一致するため)。ただし、それは「三楽章構成である」ということを私たちの疑問を解くための「正解」と認めているという意味ではない。
この問題に対して「正しい答え」はないが、様々な視点から得られる「可能な答え」を考えればベートーヴェンの「ソナタ全体」に対しての考え方が見えて来る。
判断の規準として考えられるのは
(I)音楽分析による曲の構造と他のソナタとの比較
(II)ベートーヴェン自身が関わったドキュメント(自筆譜、初版譜、書簡など)
(III)同時代、あるいは後の時代の解釈を伝えるドキュメント
(I)に関わる考察
ウィーン古典派の「理想的な」楽章の特質
(a)「単独で演奏可能であること」(完全な開始と終止があって、続けて演奏する時には前後に休息が入る。楽章の途中では休息が入らない。音楽的な首尾一貫性、独立性、統一性)
(b)和声的な首尾一貫性、独立性、統一性
(c)拍子やテンポの統一性
(d)諸主題(メロディー)の首尾一貫性、独立性、統一性
(e)他の楽章とのコントラスト
このソナタではテンポ、調号、拍子記号の変化から見て以下の様に分節しなければならない
(1)Allegro con brio ハ長調、4/4拍子(上の全ての条件を満たす「理想的な楽章」)
(2)Introduzione: Adagio
{molto} ヘ長調、6/8拍子
(3)Rondoの第一部(1〜175小節) Allegretto {moderato} ハ長調、2/4拍子
(4)Rondoの第二部(176〜312小節)ハ短調(テンポ、拍子には変更無し)
(5)Rondoの第三部(313〜402小節)ハ長調(テンポ、拍子には変更無し)
(6)Rondoの終結部(403〜543小節)Prestissimo, 2/2拍子(調は変更無し)
{}にあるのは初版にあって、自筆譜にない指示
(2)〜(6)には完全終止や休息が入ったりすることによって区切られているところがないので、それを二つ以上の「理想的な楽章」と見なすのは不可能。しかし、全体を一つの楽章と見なすには上の条件の中の(b)、(c)、(d)が欠けている。つまり、「理想的な楽章」という立場自体が崩されていると考えなければならない。
(a)の立場を取るとこのソナタは「二楽章構成」で、(2)〜(6)は一つの楽章になる。
(b)の立場を取ると(3)〜(6)は首尾一貫性を持つ楽章になる。(4)では調が変わるが、後で元に戻るので統一性がある。ただし(2)は和声的な終止がなく、それを「統一性がある」別の楽章と見なすことができない。(2)には和声的な安定性もないので、それを「不安定な状況から(3)に見られる安定性へ導く導入部」として見るのがやはり可能で、ソナタ全体の形式を和声的に検討してもやはり「三楽章構成」というより「二楽章構成」に見られる。
(c)の立場を取るとAllegro con brio 4/4 — Adagio 6/8 — Allegretto moderato 2/4
— Prestissimo 2/2の様に、明らかに「四楽章構成」になる。
(d)の立場を取ると(2)が独立し、(3)〜(6)が首尾一貫性があるので、明らかに「三楽章構成」に見られる。
(e)の立場を取っても(c)で見た「四楽章構成」では「第三楽章」と「第四楽章」のコントラストが足りないので、「三楽章構成」になる。
(II)に関わる考察
このソナタの作曲過程にはもともと自立した「第二楽章」があったのが知られている。(後で独立したAndante favoriとして知られたヘ長調の曲。)この曲は理想的な「一つの楽章」だったのは間違いないが、だからと言ってその代わりに挿入されたIntroduzioneを独立した楽章と見なすのは理が立たない。Introduzione(「導入」)というタイトル自体がそれを否定している。これは「ロンドへの導入部」、つまり「終楽章の一部」になるのが当然のことだ。
これは楽章やそれぞれの部分の終止記号を見ても分かる。初版と自筆譜で見られる(1)から(6)の終止線は
(1)と(6)二重の線(細い線と太い線)にさらに終止を表す記号が続く(初版では全体の終止を表すマークがさらに長い)。
(2)と(5)の終わりはただの二重線で示され、後でattaccaの指示がある(初版では(5)は細い線と太い線、(2)二重の細い線で表され、(2)の終止より(5)の終止が強調されているが、自筆譜にはそういう区別が見られない)。
(3)と(4)は改行も無く、二重線もない。(自筆譜では(3)で偶然的な改行がある)
また、新しい部分の開始記号と見出しは以下の様になっている。
初版には
(1)と(2)と(3)と(6)はそれぞれ左からのインデントで始まり、(1)ではその左に作品全体のタイトル、(2)・(3)・(6)ではその部分のテンポ指示が書かれている。
自筆譜には左からのインデントが無いが(五線紙を使っているので不可能)、見出しの書き方からすると内容的に同じだと思われる。
つまり、自筆譜と初版譜から判断すると「二楽章構成」説と「四楽章構成」説が可能だが、「三楽章構成」説を支持するのは難しい。
ここで「楽章」に関する概念の曖昧性が意図的だと思うが、「第二楽章が導入部と主部と終結部に別れる二楽章構成のソナタ」と見なすことがベートーヴェン自身の書き方ともっとも一致する解釈だと思う。
(III)に関わる考察
後で出版された楽譜を見ると以下のことが観察できる。
Breitkopf版(19世紀後半)左のインデントで始まるのは(1)と(2)だけで、(3)と(6)では細い二重線と改行があっても特に新しい楽章が始まる様なイメージを表していない。ちなみに同じ細い二重線は(4)と(5)の調号変更のところでも使われている。つまり、この版では明らかに「二楽章構成」として扱われている。Lamond版も同じで、(2)から(6)を通して小節番号を数えている。
Henselt版(19世紀、フランス)(1)・(2)・(3)・(6)が全て左のインデントで始まるが、(2)と(3)の前に同等な強い二重線があるのに対し(6)の前には何の二重線もない。つまり「三楽章構成」と「四楽章構成」と解釈することができる。
Bülow版(19世紀後半)はドイツ語と英語の解説がついているドイツ版と英語だけの解説がついているアメリカ版がネットに出ているが、前者はBreitkopf版と同じ様子。後者は(1)と(2)と(3)にインデントがあり、(6)にはインデントもなく、見出しも小さく書いているので、明らかに「三楽章構成」として表示している。
Schenker版(19世紀末)(1)と(2)と(3)にインデントがあり(6)にインデントがないので、「三楽章構成」を示し、小節番号もその様に付けている。ただし(3)の前に細い二重線を入れて、行の終わるところで調号変更と拍子記号変更を表しているので、(2)の終わりが「終止ではない」ということもはっきりと表している。Henle版なども同じ。