東京大学 2019年度 A-セメスター 火曜日2限目
   教員名:Hermann Gottschewski
   連絡先:gottschewskiアットfusehime.c.u-tokyo.ac.jp
   科目名:比較文化論IV
   テーマ:第一高等学校の寮歌(音楽を中心に)

授業の概観

東京大学駒場キャンパスと結びつく音楽として、「第一高等学校の寮歌」は特別な位置を占めている。それを説明するのにはまず第一高等学校とその寮のありかたから始めなければならない。

(旧制)第一高等学校(以下は「一高」)は東京大学教養学部の全身だと言える。設立当初からではないが、「寮歌」が盛んに作られている時代には一高が全寮制の学校で、全ての学生(当時は男子のみ)がキャンパス内の寮に住んでいた。そのキャンパスというのは、もともと本郷の向ヶ岡にあったが、昭和10年には駒場に移った。この時代から今日まで駒場キャンパスに残っている建物としては一号館、900番教室、駒場博物館、101号館などがありますが、一高時代の学生寮は今のコミプラのところにあり、現存していない。

寮は学生の自治によって運営されていた。学生はこの「自治」を誇りにして、自治が成立した明治23年から毎年「紀念祭」(一高ではこの綴りを使っている)を開催していた。主な寮歌は紀念祭のために生徒によって作詞作曲されたものである。最初の寮歌とされるものは明治25年にできた「寄宿寮歌」であるが、明治31年からは毎年複数の寮歌ができ、一高が廃止された昭和24年までは300以上の寮歌が作られ、一高同窓会の『寮歌集』に載っている。詳細の情報は以下のホームページに載っている。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~takechan/1koallmidikaisetu.html

この300曲以上の内、100曲以上は今日まで一高の卒業生とその伝統を受け継いでいる東大の卒業生によって歌い継がれて、駒場キャンパス内で行われる毎月数回の集まりで歌われている。ただし上記のホームページでも説明されているように、寮歌は必ずしも作られた時の楽譜の通りに歌われているのではない。昔の学生たち、そしてその後の卒業生たちは、楽譜より口で伝えられてきた歌い方を尊重している。それによって寮歌は作られた当時から今日まで少しずつ代わり、その変化が部分的に印刷された寮歌集の変化にも観察することができる。

寮歌というのは、メロディーというよりも歌詞が重要で、解説書なども歌詞についてのものが多く、音楽面についての解説が少ない。しかしこの授業では(歌詞とその意味にも触れながら)主に音楽面を問題にしたいと思う。

私(ゴチェフスキ)の考えでは、寮歌が二つの面において見事に日本の音楽史を反映している。一方は西洋音楽を基本とする寮歌の作り方自体が時代とともに変わって行くので、創作当初の楽譜の比較分析によって、西洋音楽が近現代日本にどのように受容されてきたかを読み取ることができる。他方はそれぞれの歌が創作から今日歌い継がれている形までどのように変化してきたかということを分析すれば、歌っている人々の音楽的感覚がどのように変化したかということも読み取ることができる。

寮歌については駒場博物館に重要な資料が保存されている。この資料を使いながら、また寮歌を今日も歌い続けている先輩たちの話も聞き、そしていくつかの寮歌を練習して歌うことによって、この大学のこのキャンパスでしか体験できない独特な音楽文化を知ること、その機会を与えることは、この授業の目的である。