東京大学 2024年度A-セメスター 月曜日5限目
   教員名:Hermann Gottschewski
   連絡先:gottschewskiアットfusehime.c.u-tokyo.ac.jp
   科目名:音楽論
   テーマ:日本近代における斉唱される歌:第一高等学校の寮歌を中心に

授業の目的

日本の近代の異文化摂取と自文化意識形成プロセスの中で、日本の音楽文化も再構築された。その中で一般人によって斉唱される歌は重要な役割を果たした。明治初期から讃美歌等の宗教歌謡、国歌・校歌のような儀式歌、教育科目としての「唱歌」などが導入され、明治中期以後の戦争に伴って軍歌が全国の男子に流行し、また同時代から日本人の作曲による教育歌が公立学校の検定(後に国定)教材となる。明治後期から大正にかけて民間の(楽譜付き)歌集の出版文化も盛んになり、さらに大正から昭和初期にかけていわゆる「童謡運動」や「民謡運動」によって歌謡文化が多様化し、主に芸術性を目指す分野も、新しいメディアを通して商業的ポピュラー文化へと発展する分野も現れる。

このような文化背景を論じた上に、この授業では旧制高等学校(男子校)の生徒によって作詞・作曲された第一高等学校の「寮歌」を中心に扱いたい。第一高等学校以外にも寮歌があるのに何故この授業で第一高等学校に限定するのかといえば、第一高等学校は東大の教養学部の一つの前身であり、現在まで第一高等学校の寮歌を歌い続けているOBが駒場キャンパスに集まることもあり、駒場の学生には身近いものだという単純な理由もある。ただし日本の近代の寮歌の中では、作品の数から見ても、旧制高等学校同士の影響関係から見ても、また一般社会における受容から見ても、第一高等学校が圧倒的に中心であったということもいえる。

第一高等学校の寮歌の発生は自治寮の成立(明治23年)と全寮制の導入(明治34年)にあり、その最盛期は一校が駒場に移ってきた昭和十年代まで続く。ただし戦後の学校廃止(昭和24年)までの四年間、そしてその伝統を受け新制東京大学の駒場寮においても、新たに作られた寮歌がある。

明治37年以来第一高等学校の寮歌は、年々に曲数が増えていく「寮歌集」にまとめられた。生徒の世代交代とともに主に口から口へ伝承された曲は不変なものではなかった。新しく作詞・作曲された曲の音楽様式が変化するのみならず、既存の曲の歌い方も大いに変わり、それが部分的に寮歌集の楽譜にも反映された。従って年代ごとの寮歌集を比較すれば、そこから時代と共に変化する一高生活の雰囲気も、日本近代の音楽文化の発展も読み取れる。

広義の「寮歌」の中でも、さまざまな種類を区別することができる。その中で「狭義の寮歌」と言われるのは、明治23年の自治寮の発足を記念する「紀念祭」に発表された「寮歌」と、同じく紀念祭に寄贈された、卒業生による「寄贈歌」である。

大正8年以後寮歌の募集方法と寮歌集の編纂が大きく変わったので、まずは大正7年までできたものを大正7年の寮歌集を基準に見ると以下のような種類がある。

(1)『全寮々歌』1曲(明治34年、多くの儀式に使われてきた歌。島崎赤太朗作曲)
(2)全寮々歌以前にできている寮歌17曲(明治23年の「寄宿寮歌」から始まり、歌詞の一部しか伝わらない、あるいは楽譜が残っていないものが多く、現在に歌い継がれていないものがほとんど。原則的に歌詞のみが一校生に作詞され、当時流行していた軍歌の旋律が使われた。)
(3)『全寮々歌』以後、大正7年まで、元来「東寮々歌」、「中寮々歌」などと題されて、それぞれの寮で毎年の「紀念祭」に発表された歌104曲(寮生による作詞、その多くは在学生による作曲)
(4)明治35年以来、大正7年まで、一校出身でそれぞれの大学に在学している大学生によって、紀念祭のために作られた「寄贈歌」50曲
(5)明治35年以来、大正7年まで、一高の音楽隊や楽友会によって作られた「紀念祭歌」、または大きな記念会で特別に募集された「〇〇年祭歌」6曲
(6)大正7年まで『寮歌集』の付録に編入されたクラブの部歌・凱歌7曲
(7)その他大正7年まで『寮歌集』に必要だと思われ、付録に編入された歌6曲

つまり大正7年まで合計191曲である。

大正8年以後は特定の寮による寮歌の作成が廃止され、毎年2〜3曲新しい寮歌が委員会によって選定された。同時にそれまで毎年行われた大学生による寄贈も不定期的になった。毎年の寮歌集の編纂は昭和18年までしか確認できないが、終戦前に寮歌集に新たに加わった寮歌は

(8)「第〇〇回紀念祭寮歌」として収録された寮生による歌70曲
(9)各大学による寄贈歌46曲
(10)その他の寄贈歌2曲
(11)「〇〇年祭歌」1曲
(12)紀念祭以外の機会に作られた紀念歌等4曲
(13)新たに付録に加わったクラブの部歌・応援歌・凱歌等14曲
(14)その他大正8年から終戦まで『寮歌集』に必要だと思われ、付録に編入された歌14曲

合計151曲である。

その他に戦後歌詞のみで出版された寮歌選集や、一高廃止後一校同窓会(平成24年活動終結)によって編纂された『寮歌集』(最後のものは平成16年発行)に載っているのは

(15)第60回紀念祭(1949年)までに作られた「第〇〇回紀念祭寮歌」12曲
(16)大学による寄贈歌4曲
(17)その他の寄贈歌1曲

合計17曲である。

同窓会の活動で一高の廃止以後作られた歌も上記の寮歌集に数曲載っているが、それを除けば一高の寮歌集の最終的な曲数は359である。

このように種類も多くあるが、寮歌は(稀な例外を除けば)単旋律無伴奏の歌で、斉唱は特定の演奏様式に従う。詳細については授業で説明するが、その演奏様式に伴って特定の韻律形式と変拍子もある。またそれが明治から昭和まで時代と共に徐々に変わっていく。この授業は「音楽論」なのでそれを音楽を中心に、楽譜と録音を分析しながら、あるいは授業での実習を伴って体で体験しながら主に音楽構造の側面から観察したいが、音楽様式に先んじて作詞様式が成立する場合もあるので、日本語の韻律論も多少触れる必要があるだろう。

こんにちの一般の東大生が耳にする一校寮歌は「嗚呼玉杯」ぐらいかもしれない。それは明治35年作詞作曲の寮歌で、その時代の典型的な事例として、歌詞は七五調で、メロディは四分の四拍子で、元来ニ長調だったにもかかわらずあとで変化して今日ハ短調になっている。

それに対して昭和時代の寮歌には五七調で三拍子または複合拍子のものが多い。なぜ七五調の歌が四拍子または二拍子なのか、五七調の歌は三拍子または変拍子なのか、この問題を解き明かすのは日本近代のリズムを理解するのに一つの鍵となると思う。

この講義は音楽の実技の授業ではないが、できるかぎり実際に歌う体験も含めたいと思っている。したがって授業時間を少しでも増やし、105分の授業として実施する。


リンク