東京大学 2013年度冬学期 水曜日5限目
  教員名:Hermann Gottschewski
  連絡先:gottschewskiアットfusehime.c.u-tokyo.ac.jp
  科目名:比較文化論
  テーマ:西洋音楽の文化史ドイツの音楽を中心に

 

回(2013/12/11

 

第一次世界大戦から現在までの音楽文化の発展(メディアとの関係を中心に)

「基礎知識」は下線の部分

 

I音楽と情報

以下は、必要以上の複雑化を避けるために、1819世紀に成立した「絶対音楽」による「音楽作品」の立場から議論を進める。

音楽は「音を素材とする芸術」として別の素材を扱う舞踊、絵画、彫刻、建築、文学などと並ぶ。その諸芸術は五感によって鑑賞される。五感が受容できるのは(広義の)「情報」だけなので、全ての芸術作品を情報との関係という視点から論じることができる。しかしその視点で音楽を他の芸術分野と比較すると、その特徴をただその材料とそれを受容する感覚器官の表面的な違いに還元することはできない。芸術作品と情報の関係をもっとも抽象的な立場から見ても、音楽には他の芸術分野で見られない特徴的な事情がある

それはまず、五感では例外なく「連続的」(continuous)な情報が受容されるにもかかわらず、音楽作品を構成する情報は基本的に「離散的」(distinctな情報だということである。例えば作品の内容が一つの旋律だとすれば、それが連続的な音圧変動として耳に届くが、その旋律を特徴付ける情報は音圧曲線そのものではなく、数えられる「音」から構成される「形式」である。さらにそれぞれの「音」が「高さ」・「長さ」・「大きさや音色」などという、それぞれ連続的な物理量として耳に届くが、旋律の構成要素となるのはその連続的な物理量ではなく、主に音組織によって限定され離散的な「音高」(pitch)と拍子やリズム構造によって限定され離散的な「音価」である。それ以外の要素、例えばヴィブラートの様な微妙な高さの変動、微妙なテンポの変化、ダイナミクスや音色の明暗等は音楽外の情報ではないが、作品の基本要素とされない

それは音楽の記譜法とその文化的な意味とも関係があるが、絵画や彫刻などで連続的な情報を発する「物」自体が作品であるのに対して、近代西洋の音楽では連続的な音についての離散的な情報こそが作品である。従って近代西洋音楽の作品がそのものとしてではなく、再生(原則として「演奏」)された形で耳に届くのであって、作品自体はただ音についての情報である。楽譜に書かれるのもまた、主にこの離散的な情報を代表する記号である。この記号には(数が極めて多くても)数えられる複合の可能性があるので、可能な旋律、あるいは可能な音楽作品にも、その長さを制限すれば、限定された可能性しかない。それはすでに16世紀のアタナーズィウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1601–1680)が指摘し、その数の計算方法も示している。つまり音楽の情報は基本的に「デジタル」な性質を持っているということは近代の初期から知られている事実である。

この性質に限って考えれば、文字によって表される文学も音楽と共通している。ただし文学には文学以外の世界に対して記号的な意味を持つ「単語」がある。従って文学の意味を記号的な情報の構造として語ることができない。それに対して(「絶対音楽」という限定された立場から)音楽作品の内容はその構造的な情報にこそ存在する。(第6回目の授業で絶対音楽について論じた内容を参照下さい。)

 

II情報とメディア(録音技術以前)

「メディア」というのはラテン語のmedium「中心」に由来し、端から端への伝達に当たってその間にある媒体を指している。音楽作品は「音楽についての情報として」しか存在しないので、生きている人間(作曲家・演奏者・聴者等)の記憶に存在する作品を除けば音楽作品はメディアの中でしか存在しえないということになる。録音技術が発明される以前にはそのメディアが主に楽譜である。

ここで注意したいのは「音楽」と「音楽作品」との間の区別である。音楽は音を素材とする芸術であるが、音楽作品は音楽そのものではなく、音楽についての情報で構成される、メディアに記録されるものである。しかしその情報以前(少なくとも作曲家の想像)に存在する音楽と、その情報から「再生」される音楽があり、メディアに存在する作品がそういう「生の音楽」を指しているのは間違いない。

それによって分かるのだが、近代西洋の音楽文化には音楽作品を作る作業と音楽作品を演奏する作業以外に、その音楽についての情報を記録する(書く)作業とその情報を再生する(読む)作業が必要である。(さらに「書き写す」、「書き変える」などの作業もある。)

 

 

 

・以下の部分では6年前にゴチェフスキが駒場博物館で準備した展覧会「機械じかけの音楽」に関わる解説から引用する。展覧会全体については以下のホームページを参照下さい。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musicmachines/index.html

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/exhibition/index.html

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/index.html

 

III自動再生(録音技術以前)

「音楽についての情報」を機械で読み取れる形にし、それを自動的に再生できるようにするアプローチは、思想としては古代ギリシアから、単純なメロディーを演奏できる実際の装置として遅くとも中世の時計に現れた。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/seuse.html

 

17世紀には学術の進歩とともに自動楽器も著しい発展を見せた。授業ではキルヒャーの代表的な音楽機械を紹介する。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/1F-2/automata.html

説明: iconismus XXII

この様な機械は中世の「万物の協和」を象徴するもので、そこから意図的に鳴らされている「機械的な音楽」は人間的な音楽よりむしろ「音楽の理想に近い」ものだと考えられた様である。この機械が発する音楽のコンピューターシミュレーション(ゴチェフスキ作成):

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/Kircher.mp3

それに対して18世紀の音楽機械は啓蒙主義の面が強調され、有機体としての「音楽をする人間」の理性的に機能する身体と精神の証明として作られた。それらの機械は人間に近い演奏を目指し、学術的証拠以上の音楽的な価値が認められなかった。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/1_1vaucanson.htm

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/1_2vaucanson.htm

 

IV自動記録(録音技術以前)

18世紀には自動記録装置も開発されたが、それは今日のように演奏を記録するものではなく、作曲家の助けとなるものであった。特に鍵盤楽器での即興を自動記録する機械が話題になった。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/2_1recordingmachines.htm

 

V演奏法の記録と再生(録音技術以前)

18世紀後半には優れた演奏の記録も行われた。今日まで残されているのは自動記録ではなかったが、演奏者の個性まで感じさせる演奏を記録したということで録音技術を100年ほど先駆けたことで注目される。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/leipzig/poster/Engramelle.pdf

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/2_3recordingmachines.htm

説明: 1 のコピー

パリのオルガニストClaude-Bénigne Balbastre (1717?-1799)の演奏がMarie-Domi­nique- Joseph Engramelle (1727–1781)によって自動オルガンで再生するために丁寧に記録され、D. Bedos de Celles著のL’Art du Facteur d’Orgues (1788)に発表されている。自動楽器メーカーが理解できる細かな記譜法では、テンポの揺れが記録されていないが、音の長短と装飾音の詳細の弾き方が非常に丁寧に記入されている。その画像データーをもとにしたコンピューターシミュレーション(ゴチェフスキ作成)ではほとんど生の様な生き生きした演奏が聴こえてくる。

聴覚資料 http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/1F-2/Romance.mp3

19世紀には自動ピアノが流行したが、(録音技術の導入と時間的に重なるが)20世紀に入ってからピアノの演奏を鍵盤やペダルの運動として記録し、鍵盤やペダルの運動として再生する技術が導入された。情報は巻き紙に穴をあけることによって記録し、それを空圧の技術で読み取る方法が使われるので、その記録媒体から「ピアノロール」と言われる。この技術は1920年代までピアノ演奏のもっとも良い記録方法として認められていた。

1920年代には、作曲家が作品の情報を直接紙に記録するアプローチもあった。

http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/musica/1F/20_mechanicalmusic.htm

 

ピアノロールに直接作曲するヒンデミット(左の写真の裏に写っているのは技術士のCarl Bockisch、この記録技術の開発者の一人。)

ヒンデミットの自動ピアノのためのトッカータ1926)を含むピアノロール。冒頭にヒンデミットの自筆がある。

 

(ドイツ、フライブルク、アウグスティーナ博物館所蔵)

 

VI音楽の記録と再生(録音技術の導入以後―アナログの時代)

エディソンの録音技術の発明以来、音についての情報ではなく音そのものの記録が可能になったのは音楽文化に非常に大きな変化をもたらしたと考えなければならない。録音技術の発明自体は1877年となっているが、レコードが音楽文化に影響を持ち始めたのは1900年前後からである。1920年代後半まではアコースティックな録音しか可能ではなかったので、小さい音の録音や大きなアンサンブルの録音が不可能であった。だから音楽の全てのジャンルに渡って録音が重要な役割を果たすのは1930年代ごろからである。その同時期にラジオ放送も音楽文化に大きな影響を果たすようになる。

つまり20世紀前半では音楽を生の演奏ではなく再生機械を通して聴く機械が徐々に増えてきた。その技術によって一番早く決定的な影響を受けたのは大衆音楽であった。つまり大衆歌手の声がレストランや家庭の様な、生演奏を許さない場所でも多く聴かれるようになる。

それに対して大衆音楽ではない、従来の現代音楽の伝統に則って作曲している作曲家は長く新しい技術を軽視する傾向があり(部分的には今日までも)、その作曲文化はアナログの録音技術によってそれ程影響されなかった。

 

 

VII新しいメディアによる音楽創作

第二次世界大戦後アヴァンギャルドの作曲家たちの中に「電子音楽」などを作る運動もあった。その重要な前提はテープレコーダーの発明であった。つまり録音を細かく切り取り、はったり付け加えたりする技術のことである。本来ならこの授業のテーマの範囲に入るものではあるが、これは僅か一部の作曲家のみが参加した運動であり、音楽文化全体を大きく動かしたとは(ゴチェフスキの判断では)言い難い。従ってこの授業では時間の都合で省略する。

 

 

VIIIデジタル録音の時代

デジタルの時代では音楽の創作も非常に大きく変わり、現在も変わりつつある。これは特に音そのものをコンピューターの中で処理できるようになったことに大きな原因がある。それによって音楽の制作が安い経費でプロフェショナルのレベルで可能になったので、素人の作品等も注目されるようになった。これは現在のことだから、「音楽史」というテーマの授業から除外するが、私たちは音楽文化に関して非常に大きな変化が起こりつつある時代に生きているということを最後に指摘したい。

 

 

最後に、授業計画全体について

この第8番で、で第2番の授業から行っていた、時代毎に音楽史を見る「概観」が終わり、これからの授業では個別なテーマに光を当てながら音楽史全体を振り返ってみたい。