東京大学 2013年度冬学期 水曜日5限目
  教員名:Hermann Gottschewski
  連絡先:gottschewskiアットfusehime.c.u-tokyo.ac.jp
  科目名:比較文化論
  テーマ:西洋音楽の文化史ドイツの音楽を中心に

 

第2回(2013/10/16

17世紀以前の音楽(記譜法の発展を中心に)

最初に歌う輪唱(17世紀の音楽ではない

ドイツ語の歌詞と日本語訳

Guten Morgen, guten Morgen,

Guten Morgen, mein Liebchen,

Komm heraus nun aus dem Haus nun,

Komm heraus nun aus dem Stübchen,

denn die Sonn, denn die Sonn

denn die Sonne ist da.

おはよう、おはよう、

おはよう、私の愛された人よ、

今出てきてよ、今、家からよ、

今出てきてよ、小部屋からよ、

なぜなら、太陽、太陽、

太陽が現れたからよ。

 

(1) 基礎知識

 

古代(例えば古代ギリシアの文化)には声楽と器楽においてそれぞれの記譜法があったが、その伝統が中世にはほとんど途絶えてしまったため、カール大帝(8〜9世紀)の時代には音楽は主に口伝で伝えられたと考えられている。しかし、カール大帝が巨大な帝国を統一する目的でローマを中心とするキリスト教会の典礼(決まった方式でミサを行うこと)の統一に努力した。そしてその目的に達するための重要な政策として、正しい歌い方(つまりローマで伝わっていた「グレゴリオ聖歌」)を普及させるための聖歌学校が設置された。

 

視聴覚例1 グレゴリオ聖歌の伝統にしたがって作曲されたセクエンツィア「Veni sancte spiritus」(聖霊きたりたまえ)。歌詞はラテン語。

この譜例は12世紀に由来する「聖歌記譜法」で書かれており、四つの線はすでに後の五線譜の線と同じ役割を果たしていた。一番上の線にのっているのはハ音記号であり、一番上の線にはCという音があることを意味している。そこから下へ数えていくと、最初の音は一オクターヴ下のCであるのがわかる。ただし聖歌記譜法は音階の全音半音関係を示しているだけで、絶対音を示しているのではない。

参考・聴覚リンク

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス

http://www.youtube.com/watch?v=aqkR-4l73CI

 

(2) 基礎知識

カール大帝時代、聖歌学校が創られた頃には楽譜らしいものはまだ存在していなかった。当時、帝国の端から端まで旅行するのに数週間かかったことを考えると、口伝だけで統一された歌い方を普及させ、永久に保存することは困難なことだっただろう。その問題を解決するために、長いメロディーの抑揚を大まかに記録することができる「ネウマ譜」が作られたのだと思われる。今日まで残っている最古のネウマ譜はカール大帝が亡くなった814年直後のものと思われる。

 

図2

残されている最古のネウマ譜(9世紀前半頃)。歌詞はラテン語。

この文献では、文字テキストが先に書かれ、後に空いているスペースにネウマが追加されたと思われる。

 

(3) 基礎知識

このネウマ譜の記譜法は古典ギリシア語のアクセントの付け方に似ている。古典ギリシア語の例(現代の表記法)

αὕτη δὲ λέγεται διχῶς, μὲν ὡς ἐπιστήμη, δὡς τὸ θεωρεῖν.

ここで使われているアクセントで特に注目すべきは、高い音を示す ´ (鋭アクセント)低い音を示す (重アクセント)、長母音で高い音から低い音に下がる (曲アクセント)である。これらのアクセントはいずれも母音の上に書かれている。図2のネウマ譜においても母音の上に音を示す記号が書かれているが、その主な種類は(解像度の問題で少し分かりにくくなっているが)高い音を表す、低い音を表す、高い音から低い音に下がる旋律を表すの3つであり、古典ギリシア語の例と類似している。このような類似性はおそらく偶然ではない。なぜなら、このネウマ譜が書かれた時代に「正しく歌うこと」とは「ことばを正しく発音すること」と同義であったと考えられるからである。当時、聖歌は「ことばが付いた旋律」ではなく、「旋律が付いたことば」として捉えられていた。

 

ネウマ譜の発展その一

図3

イギリスの合唱の楽譜(10世紀頃)。歌詞はラテン語。

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この例では、ネウマ譜がより複雑なメリスマチック(melismatisch、一つの音節に複数の音が付いていること)旋律を表している。この例ではテキストが単に先に書かれたのではなく、テキストを書く段階でネウマ譜に必要なスペースを空けておくことが最初から念頭に置かれている。つまりこれは最初から「楽譜」として書かれた文献である。その証拠となるのは例えば二行目のdeusという単語でdeusの音節が離されて、その間にネウマ譜が書かれていることである。

 

ネウマ譜の発展その二

図4

二声のネウマ譜(12世紀頃)

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音符の形はまだ明らかにネウマ譜で、複数の音を表す記号も使われている。しかし、五線譜のように線が引かれており、音高が正確に読み取れるようになっている。(行の冒頭にはGCFという文字が書かれ、それぞれト音記号、ハ音記号、ヘ音記号を意味している。)この二声の歌唱は、歌詞が二人の歌手によって同時に発音されていることを前提としている。


図5

モテットの楽譜(13世紀頃)

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この楽譜は三声の作品を表している。左半分が上の声部、右半分が真ん中の声部、一番下の行が下の声部である。この作品を三声で演奏しようとする時、どの音がどの音と同時に歌われるのかを楽譜から判断するのは難しい。作曲家はそれをもちろんきちんと計算しているが、演奏者には歌ってみるのが早道だ。

 

(4) 基礎知識

中世のモテットでは原則として各声部にそれぞれ異なる歌詞があり、世俗的な歌とグレゴリオ聖歌を合わせた作品も多い。これが意味するところは、当時の声楽作品が、音楽によって一つの「主張」を聴衆に伝えるという役割を与えられていたというより、複数の歌をあえて同時に歌い、声を合わせることを楽しむようにつくられていたということではないだろうか。図5で三つの歌(=声部)がページの左・右・下に配分されているのは、中世のモテットとして標準的な表記法である。つまり視覚的には、それぞれが独立した歌としても、三つが合わさって一つの作品を成す歌としても読むことができる。この表記法は、有機体のように「全体で一つ」を成す近代の楽曲との根本的な違いを表していると思われる。この音楽は聴衆のためというより歌手のための音楽だったのではないだろうか。

参考のリンク(この楽譜と別の曲だが、三声のモテット)

http://www.youtube.com/watch?v=x8InhEBCf_A

 

(5) 基礎知識

1600年前後を(曖昧な)境界線として、作曲家の作曲に対する考え方が、横のつながりを重視した「ポリフォニー(多旋律性)」から縦のつながりを重視した「ハーモニー(和声)」へと徐々に移っていき、それとともに最も重要な作曲技法として、多旋律性を基本とする「対位法」に、縦の関係を説明する「通奏低音」(後では「和声学」となる)が加わる。通奏低音の考え方では、主旋律を含む上の諸声部が和声を支配するバスの旋律に乗っかる形になる。この時代の楽譜では、バスが一番下に書かれ、そのバスに支えられるようにして真上に音符が並んでいるため、縦の関係が一目瞭然である。

図6

いずれもコレリのトリオソナタの楽譜

 上:18世紀の楽譜(1732年にロンドンで印刷された総譜)

 下:現代の楽譜

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図7 東洋音楽の比較対象

漢字で発音を表したサンスクリット語の声明(しょうみょう)譜(12世紀頃、20世紀の研究者による写譜) 《金剛薩埵讃》