Hermann Gottschewski

2011年夏学期『比較芸術』「ベートーヴェンのピアノソナタとその周辺」

 

6月 2日

I ベートーヴェンの全作品の中のピアノソナタ

 「ピアノソナタ」からベートーヴェンの全作品を観察した場合にはまず「ソナタ風」の作品(複数の楽章から構成され、原則として第一楽章がソナタ形式によるもの)とそうでない作品への分類が必要だろう。

      「そうでない作品」には様々な小曲や歌曲以外ミサ曲などの様な宗教音楽、オペラ、劇作品の序曲と間奏曲、バレー音楽、変奏曲などがある。

      「ソナタ風」の作品についてはネットに載せた概観を参照。

http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~Gottschewski/history/uu11/0602/sonatahuu.xls (エクセル)

http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~Gottschewski/history/uu11/0602/sonatahuu.pdf (PDF)

ただしこの表には作品番号が付いた作品のみを載せ、他の作品を別の楽器編成に編曲された作品を除外した。

 

1 「ソナタ風」の作品の位置の変化

 上のリンクの表では、作品番号31まで全ての作品が「ソナタ風」によるものであることが際立っている。初期のベートーヴェンは小曲、特に歌曲も多く作曲しているが、彼自身はそれらを「作品番号に値する」ものと見なさなかったからである。これはベートーヴェンの全作品の中の「ソナタ風」作品の重要性を証明している。中期以後の作品ではそれ以外の作品番号が多くなるのは主に(a)オペラやミサなどの「ソナタ風」以外の大規模の曲が現れることと(b)編曲作品や小規模の曲にも作品番号が付く場合が現れることによるものである。

 

2 「ソナタ風」の作品の分類

 「ソナタ風」の作品をさらに分類すると(1)交響曲、(2)弦楽四重奏曲、 (3)その他の弦楽器や管楽器の室内楽、(4)協奏曲、(5)ピアノソナタ、(6)ピアノと他の楽器のソナタ、(7)ピアノと複数の楽器の三重奏曲および五重奏曲と(8)唯一の連弾のソナタに分類できる。この場合(3)に分類される作品は(高い作品番号が付いていても)全て初期の作品である。数と規模と初期中期後期への分配を考えれば、ベートーヴェンの全作品を語るにもっとも重要な作品は交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲であり、その中で初期はピアノソナタ、中期は交響曲、後期は弦楽四重奏曲に集中していると言えるだろう。しかしピアノソナタの数が一番多く、全ての時期に複数の重要な作品が存在するのが他のどんなジャンルにも見られない特徴である。

 

 

3 ジャンルと楽章構成

 ベートーヴェンの時代(あるいはそれ以前)のヴァイオリンソナタ、チェロソナタ、ピアノトリオなどは普通「他の楽器も付くピアノソナタ」と見なされた。それはオリジナルの作品名にも現れる。今の呼び方と違って「ピアノソナタ、ヴァイオリンの伴奏付き」などのタイトルが普通で、ベートーヴェン以後はこの「伴奏」の単語が少なくなるが、やはり「ヴァイオリンとピアノのソナタ」ではなく「ピアノとヴァイオリンのソナタ」の呼び方が多く見られる。三重奏等には「ソナタ」という名称が一般的ではないが、たとえば作品11のトリオの初版のタイトルは「ピアノのためのトリオ、クラリネットとチェロとともに」となっているところから、そこもピアノが優先だと分かる。

 ソナタ風の作品の全ての楽章構成を見渡すと(リンクの表の色で分かる)、ベートーヴェンはピアノ付きの「ピアノソナタ風」の作品とピアノ無しの「交響曲風」の作品を使い分けていたと考えられる。つまり交響曲、弦楽四重奏曲とその他のピアノ無しの室内楽曲は主に四楽章構成で、ピアノソナタとピアノを含む室内楽曲には多様性があるが、三楽章構成が多い。また、ピアノソナタとピアノを含む室内楽曲を時期別に比べても、それぞれ同じ傾向が見られる。

 協奏曲(5つのピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、トリプル協奏曲)の形式はソナタ程の多様性がなく、全て三楽章形式である。交響曲の形式とははっきりと区別される。

 

II ソナタと「ソナタ風」の作品の歴史におけるベートーヴェンの位置

 ソナタおよびソナタ形式の歴史を見ると18世紀半ばまでは多様性と地域毎の特徴が強く見られ、特にハイドンの影響で形式が整ってきて、少なくとも曲の概観からしての多様性が徐々に狭まる。ベートーヴェンの作品は大体この狭い範囲内で作曲されるが、部分的にジャンルの再設定と、後期に至ると従来の規則を破る傾向も見られ、一時ほとんど消えていた多様性が再登場する。しかし、ハイドン以前のソナタの多様性とベートーヴェン以後のソナタの多様性は少し意味が違う。つまり、ソナタの歴史の中の初期の多様性は規定の無さ、あるいは規定の限られた有効性を意味し、後期の多様性は規定内の行き詰まり、形式の権威に対しての反発を意味するのである。

 

1 交響曲や弦楽四重奏曲の形式

 ハイドンとモーツァルトの交響曲は僅かな例外を除けば四楽章構成であり、第一楽章がソナタ形式、第二楽章が緩徐楽章、第三楽章が舞曲(主にメヌエット)、第四楽章が急速楽章という順本になっている。弦楽四重奏曲は同じ四楽章形式になるのはハイドンが中期(作品33)以来で、その影響でウィーン古典派の標準となる。従ってモーツァルトの弦楽四重奏曲も最初は三楽章構成が多いが、後でハイドンの影響で四楽章構成が標準となり、ベートーヴェンは最初から四楽章構成となっている。[1]

2 協奏曲の形式

ベートーヴェンの協奏曲は交響曲等と違って三楽章構成だが、その違いもやはりウィーン古典派の伝統によるものである。例えばモーツァルトのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲を見れば、それらが三楽章構成で、舞曲は入っていない。ブラームスなどでは後に四楽章のピアノ協奏曲も見られる様になる。

 

3 ピアノソナタやピアノ付きの室内楽の形式

 ハイドンのピアノソナタには二楽章構成と三楽章構成が同じ位の頻度で起こっているが、いずれもベートーヴェンに見られない特徴が見られるので、ベートーヴェンが最初の三つのピアノソナタをハイドンにデディケートしたものの、ハイドンのそれを模範にしたとは考え難い。それに対してモーツァルトでは第二楽章を緩徐楽章とする三楽章構成が一番頻度の高いものであり、ベートーヴェンのソナタの構造と似ている点もいくつか指摘できるので、ソナタに関してはハイドンよりモーツァルトの影響が大きいかもしれない。しかしベートーヴェンが第一番のソナタから多く使っているシンフォニー風の四楽章構成はモーツァルトにもハイドンにも全く見られず、他の作曲家から取ったとも考え難いので、ベートーヴェンはそれによって意図的にピアノソナタのレベルを一段上げてウィーン古典派のもっとも中心的なジャンルである交響曲と弦楽四重奏曲に近づけたと考えられる。

 ベートーヴェンの影響は後の作曲家にも強く、シューベルト、シューマン、ブラームス、そして二流の多くの作曲家の作品にも、四楽章構成のピアノソナタが常に見られる様になる。ただしベートーヴェン自身はこの方向を変えて、中期以後の作品では(ピアノソロのソナタに限って)四楽章構成の頻度が非常に低くなる。

 

4 その他の室内楽の形式

その他の室内楽には上演の機会等にもよって様々な伝統があり、特にセレナード形式があることを注記すべきである。セレナード形式には楽章の数がソナタ風の作品より多く、第一楽章と終楽章の間に複数の緩徐楽章と舞曲が交替するのが一つの典型である。ベートーヴェンの初期の弦楽三重奏曲と管楽器を含む室内楽作品の一部にもこの影響が見られ、また後期の弦楽四重奏曲の多楽章構成もそこから部分的に影響されたと考えられる。

 

結論

ベートーヴェン以前には、一方は交響曲と(中期のハイドン以来)弦楽四重奏曲、他方はピアノソナタの間にはっきりした境界線があり、「ソナタ」と呼ばれる作品の形式と、そう呼ばれない交響曲等の楽章構成は違っていた。初期のベートーヴェンのピアノソナタではこの境界線が崩れる様に見られるが、ベートーヴェンの全作品を見ればやはり最後まで「ピアノを含まない作品」と「ピアノを含む作品」の楽章構成の違いが意識されていたと思われる。



[1] ベートーヴェンで時々見られる、第二楽章と第三楽章の順番を逆にした形式はハイドンとモーツァルトにも時々見られる(たとえばハイドンの第68番の交響曲、モーツァルトの弦楽四重奏曲KV 499)。